おじい様を看取られたお孫様から届きました

「力強く」

それは、私にとって初めての経験だった。冬の冷たさが残る中、桃の花は咲きはじめていた。その日、私は一人で二時間かけて祖父母の家へと向かった。祖父母の家で私は、かすかに残る祖父のぬくもりをこの手に感じた。祖父は、その日に天へと旅立ったのであった。

 

祖父の病気は昨年の六月に判明した。病名は「胃癌」だった。祖父は、その頃から治療のために入退院を繰り返すようになっていた。その病名を私が知ったのは担当の先生から、「祖父に残された時間」についての話を聞いたときのことだった。私は本来、その日にその話を聞きに行く予定ではなかった。しかし、祖父に「ずっと会っていないから会いたい。来てほしい。」と言われ、その日、病院に行くことになった。

 

病院に着き、面会のための部屋で祖母、叔父、母と共に祖父に会えるのを待っていた。しばらくして、看護師さんに車椅子を押されて祖父が来た。その姿は、私の知っている祖父の姿よりも細く、弱く小さくなっていた。祖父は私の姿を見つけると手を差し出してくれた。私は、その手を握った。それは、祖父との久しぶりの握手だった。私が祖父母の家に遊びに行くと祖父は、帰り際によく握手をしてくれた。祖父との握手はいつも暖かく力強かった。そして、祖父が病院でしてくれた握手も力強く温かかった。私は、その握手に祖父の思いを感じた。今思うと「あの力強い握手」には、伝えたいすべてのことが込められていたのではないかと思う。

 

それから、一週間後、祖父は最期の時間を思い出の詰まった家で過ごすために退院した。しかし、祖父には痛みを和らげるための緩和ケアと身体の介護のために「医療、看護、支援」がなくてはならなかった。

退院後、祖父は日に日に体が動かなくなり、意識が混濁するようになっていった。そんな祖父と私達家族を「体力面・精神面」の両方で支えてくれたのが在宅での「医療、看護、支援」だった。祖父の生きる尊厳を大切にし、祖父の痛みだけでなく家族の不安を和らげてくれた訪問診療の担当の先生。日に一度の訪問看護だけでなく、早朝・深夜でも対応してくれた看護師さん。一日に二回来て、祖父の身の回りのケアをしてくれたヘルパーさん。

その方々は、私達家族が祖父との最期の時間を安心して過ごせるように祖父本人だけでなく家族の言葉にも一つ一つ耳を傾け、家族にも寄り添ってくれた。そして、積極的な治療ができなくなり、残された時間が短くなった祖父の「命」、「生きる権利」を支えてくれた。

私は、この経験を通して誰かの「命」、「生きる権利」を支えてくれる人がいることを実感した。そして、あの日の「力強い握手」もその支えの上に成り立っていたのだろうと思う。

 

私は今年、中学三年生で高校受験をはじめとした進路を決める機会も多くある。そんな中で、私は祖父の「力強い握手」から「他の人のことを支えることができる人」になってほしいという想いを感じた。そして、祖父との最後の時間を過ごす中で「命」と「生きる権利」を支える人たちの姿を間近で見ることができた。

私は将来、祖父の「命」や「生きる権利」を支えてくれた人たちのように「他の人を支えられる人」になりたい。そのために、今日からの人生を力強く歩んで生きたい。

 

投稿日:2022年8月25日

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