患者さんの声

72歳 女性 慢性呼吸不全・肺結核後遺症

72歳女性で慢性呼吸不全、肺結核後遺症の患者さんです。
夜間人工呼吸器をつけています。

平成14年8月開院と同時にわたクリニックにて訪問診療、訪問看護を開始しました。
大学病院からは、「もし呼吸状態が悪化したら、すぐベッドを確保しますので救急車で来てください。」という状態で紹介されました。

骨粗鬆症、脊椎カリエスによる脊椎変形があり、痛みが強く歩行困難で退院時は、ポータブルトイレ使用、オムツ使用の状態でしたが、頑張り屋さんで、呼吸器リハビリ、体操にて歩行可能な状態になりました。
御自分で、ネブライザーをかけ、痰を吸引しています。好きなときに入浴したり、酸素ボンベをもってお散歩にも出掛けて行きます。

御夫婦とも癌ターミナルという状況で御夫婦とも在宅で看取った症例

S.Mさん50歳台女性 左乳癌手術後、骨転移、胸壁皮膚再発
S.Mさん50歳台男性 胃癌末期、肝臓転移、肺転移

御夫婦50歳代で癌ターミナルという状態でした。

患者さんからの突然の電話で、「ここで入院したままでは死ねない。早く家に帰りたい。」 とりあえず退院には、主治医の先生の許可が要ることと、診療情報提供書を送っていただくようにとお願いしました。 診療情報提供書では入退院を繰り返しながら2回の手術、骨転移に対する照射、動注、静注による化学療法、余命3ヶ月でこれ以上治療できないという内容でした。 ご本人はセカンドオピニオンをご希望されていました。

治療できない患者さんを、別の病院の先生がお引き受けしてくださるかどうか心配でした。 しかし、患者さんの死んでも死にきれないという思いをわかっていただける先生を探し始めました。 幸い○○記念病院の医療相談室の方がこの患者さんの思いを乳腺外科の先生に伝えて下さって外来受診の運びとなりました。

御主人もがん末期で、セカンドオピニオンを求めていらっしゃいましたので、同じ病院の副院長先生が会って、話をしてくださることになりました。 御主人は最後の力を振り絞り車椅子にのって病状説明を聞きに行かれました。

受診後、46日目在宅でお亡くなりになられました。 御主人を看取られた乳がん末期の奥様は、外来化学治療を受けられながら2年間在宅でお過ごしになられました。 御家族は治療を続けながら、本人の希望どおり家で過ごすことができてよかったとおっしゃっていただけました。

70代 十二指腸乳頭がん術後 多発肝転移

CVポートより、高カロリーの輸液

歌が大好きで、家が大好きな患者さんでした。

「先生、働いてばかりいたらだめだよ。趣味をもたなくちゃ。働いて定年で、さあこれから自分のやりたいことをやろうと思ったら、 病気になってなんて人いるでしょう。僕は趣味をたくさん持って、やりたいことやりながら、生きてきたから、こうやって病気になっても、後悔することはないよ。いい人生だった。」 、「家はいいね。植木も見られるし。家族の声も聞けるし。好きな歌も大きな声で歌えるし。だいたい病院だと、みんな寝ているんだよね。」

最後の時まで、家での生活を楽しまれ、ご家族に感謝されお過ごしになられました。

50代 女性 乳がんターミナル、3人息子さんの母親

200X-5年 右乳がんにて手術
200X-2年 再発・肺転移・がん性胸膜炎
200X-1年 10月 余命2カ月(本人のみ告知)

このご家族の方の動画がございます。
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12月にお会いして、3月にお亡くなりになるまでの間に、生きるということについて、深く考え、教えてくださったかたです。

12月3日が初診でした。彼女の言葉の中に、宝石のようにちりばめられた真実をどうしても、残しておきたくて、ビデオ撮影をお願いいたしました。
12月30日に訪問させていただき、ご家族皆様方に会うことが出来ました。初めてお会いしたご家族なのに、ずっと知り合いだったかのような親近感を覚え、普段通りの様子を撮影することができました。

「遅かれ早かれ、死は皆に訪れるでしょう。死には病死、事故死、自殺、他殺あるけど、私は病死が一番いいと思う。一つ一つ、準備ができるから。このまえの震災で幼い子が、ご両親を亡くしたりして、そのような方に比べ、自分は幸せな方だと思う。まず、一番感謝したいのは、この子達が小さい時でなくてよかった。」

ビデオの中で、子供たちと自分の病気について、語ってくれました。

「先生葬式は、死んでからするもんじゃないよ。生きているうちにするもんだよ。そうすれば皆に会えるから。」

生前葬を希望され、1月には故郷の久米島行を実行されました。
久米島からは「命どう宝」と書かれた手作りの絵葉書が届きました。
また家族みなで作った骨壺も見せてくだいました。
家族みんなの名前と小さなお魚が泳いでいる絵が描かれていました。
私は、生きている人のこれから入るという骨壺を見たのは 初めてでしたが、きっとこの中だったら寂しくないなと温かい気持ちになりました。

2月に入り、酸素、麻薬内服中にもかかわらずまたご家族皆で久米島行を計画されました。
本人が、ご先祖様と一緒に正月をお祝いしたいというのです。
久米島のほうでは、ご先祖様のお墓の前で、一緒にご馳走を食べる風習があるそうなのです。
病状厳しく心配しましたが、車いすでご家族皆様方と出かけていきました。
心配している私に早咲きの桜の写真 を添えた絵葉書が届きました。

90代 癌多発転移

中央がご本人、中央左が奥様。周りは看護師とCアミーユ西新小岩スタッフ

それまでに化学療法を繰り返してこられましたが、これ以上の化学療法は望まないと自宅である高齢者用施設に退院されました。
当院で往診を開始した時点で病状も余命についても全てご本人が把握されていました。

退院時には癌による痛みや腰椎の痛みが強い状況でした。 また浮腫も認めておりました。

疼痛はモルヒネ製剤の使用により改善、利尿剤により浮腫も軽減されました。
リハビリにも積極的に取り組まれました。

状態は比較的安定していましたが徐々に経口摂取困難となり、補液を行いました。
胸水による呼吸状態の悪化も見られ酸素投与を開始しました。
ベッド上にいることも多くなり、全身状態は低下傾向となりましたが、痛みや苦しさの訴えはありませんでした。

いよいよ食べられないとなってから数日後、看護師から
「お寿司を食べたいと言っているんだけどどうだろう」
との相談がありました。

是非どうぞと回答しました。
普段は食欲が無くほとんど食事はとれていません。病状について本人もご家族もよく理解されており、覚悟の上でした。その日、ご本人と奥様は施設のスタッフ皆に寿司を振る舞い、パーティーが行われました。

「皆さんに感謝を申し上げたい。これはささやかですがお礼です」
しっかりとした声で2曲歌われ、マグロの寿司を二貫召し上がりました。誤嚥することも全くありませんでした。

自室に戻られ6時間後、永眠されました。

ご本人、奥様は在宅医療を選択して本当によかった、是非とも多くの方に知ってもらいたい、そのために是非写真も含め紹介してほしいとの言葉を頂きました。